地域のために震災復興事業の紹介記念誌「阪神・淡路大震災の記録」映画「ありがとう」映画「ありがとう」 記念誌「阪神・淡路大震災の記録−鎮魂と復興の願いを込めて−」
     
 
  13章 『あの日』を忘れない
小林 文雄 
 
         
 

○ [国立神戸病院の日記から]

 『筆者は、苦闘の入院生活の中で、記帳したメモ帳から毎日の状況を克明に記述したものを提出されたが、紙面の都合で残念ながら割愛させて頂く。しかしながら、3月10日の退院当日の胸中を記した部分は万感胸に迫るものがあり、削除することは出来ず、それを残した。

 尚、長い闘病生活の日々、折にふれて詠んだ句はそのまま記載したので、当時の様子を窺って頂きたい。

(編集責任者記)』

〔3月10日(金)〕小雨 生かされて退院
〈感極みの髭面[ひげづら]
 入院して1週間の頃、伸びたヒゲは「生きている証拠」と婦長さんに言い放し、故人の命日迄は絶対に剃らない決意で今日まで来た。

重傷をおった小林文雄さんと
お見舞いのお孫さん達

 いざ退院だとなると、雑念が頭をよぎる。しかしその信念はと自問自答する。

 決心して病院内の理容室へ。初めて訪れるお客さん、想像しても約2カ月伸ばしたヒゲ面、頭は洗髪しているから伸びてはいるが自称清潔。店主太田さんが鏡をバックに視線を向けたのも不思議でない様相であった。

 先客が終わり座席に案内された。「どの様にいたしましょう」……私は激震による被災状況と犠牲となった兄姉の話をした。じっと温かいタオルを手にしたまま、太田店主の目に涙を感じた。ヒゲを残す訳も話した。「わかりました」……頭の理髪を終え、ヒゲを整えた。……自分の顔面を疑った。間違いなく自分だ。立派な髭面で退院だ。心配いただいた方々その歓びとヒゲ面の対面にビックリの表情を胸中に……。

〈胸中万感の退院〉
 朝から小雨が降り続いていた。震災当日から2カ月に近い日々を当病院で。院長、福島主治医、荒木婦長や他多勢の関係者にお世話になった。いざ退院となると急に胸が蹄めつけられ、激震の惨状、逝去した兄姉、多くの犠牲者、今だに住居を失い仮設に避難する何万人の被災者を思うとき、万感迫る胸中は言葉に尽くせない。「九死に一生」この重い言葉と「命の尊さ」を身に受け、故人横井等兄、橋本弘子姉の冥福を祈り退院する。

 退院に際し、郷里から家内の兄松内昭徳、家内姪主人川瀬正、姪峯子さん運転する自家用ワゴン新車で迎えに来られた。

 午前11時に主治医福島先生、多くの看護婦さんにお礼の挨拶し、同部屋であった若松新一様、沖本宮一様に再会の機会を約束、激励を送り熱い思いを残しながら部屋を後にした。

 病院玄関には赤松勇次さん、西川忠夫(神戸市役所勤務、愉快な物知りの人)さん等の見送りをうけ、病院を後にする。ワゴンの座席に長く寝たまま国立神戸病院の5階の病棟を眺めつつ、横の手に看病に尽くした妻の手を握り占め、長い看護の苦労に感謝しつつ、妻のよろこび感慨ひとしおの目に涙を見ながら神戸を後にした。

 
 

 
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