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15章 風立ちぬ |
三野 和子 |
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震災から早や6年の歳月が流れました。 神戸の街は、あの地獄のような出来事がまるで嘘のように、すっかりきれいな街になりました。忘れもしない平成7年1月17日早朝、まさに日本国中が地震の恐怖におののき、自然の脅威と人間のおごりと無力さを痛感した日でありました。そして遺族にとっては、悲しみのはじまりの日でもありました。 まさか、神戸で、等さん、弘子さんの尊い命が失われようとは、誰が思ったことでしょう。……もう二度と、あの温和な笑顔にお会いできないのが、とても残念です。 人生の道半ばで、かけがえのない伴侶を失くした賢治さん、和子さん、そして、若くして母を失くした伸一郎君の胸中は、いかばかりであったかとお察しいたします。 惜しんでも、惜しみ切れない心境を思う時、かって20年前にわが子に先立たれ、悲嘆にくれていた自分を思い出します。 そんな私が、今思うことは、「とても無理なお願いかもしれませんが、もう充分悲しんだのですから、これからは起こってしまった過去のことに心を縛らないで、生かされた我が身の尊さと、明日への希望と勇気を持って、強く生きてください。それが、私の心からのお願いです」
風立ちぬ、いざ生きめやも 朔太郎の詩を口にする時、力が湧いてきます。そして、逝くなったお2人の生きてこられた証は、時を越えてこれからも語りつがれ、人々の心に生きつづけていくことでしょう。 |