地域のために震災復興事業の紹介記念誌「阪神・淡路大震災の記録」映画「ありがとう」映画「ありがとう」 記念誌「阪神・淡路大震災の記録−鎮魂と復興の願いを込めて−」
     
 
  2章 阪神大震災と愛妻を偲ぶ
橋本 賢治 
 
         
 平成7年1月17日午前5時46分、一瞬に多くの思いが消えてしまった。このような出来事を誰も知る予知は出来ない。昨夜の想いと楽しさが魔の地獄にかわってしまった。

 午前5時30分頃だと思う、目がさめてトイレに行く。頭がぼんやりする、昨夜のアルコールがまだ残っているようである。布団の中で横になっていたがぽんやりとして眠れない。弘子は横向きでよく寝ていた。時間は過ぎ、そのときゴーとものすごい音がした。まだ朝方なのに?いつも神戸に来ると本堂の阿弥陀様の前で寝ていた。朝はいつも早く起きる習慣が身についている。音が聞こえたその時に家が左右に揺れ上に持ち上げ前に倒れた。阿弥陀様の天井が光って前に落下してくる。一瞬の光景である。これが最後だ2〜3秒間である。その間に弘子は怖い、と叫んだ。生きている人間として死の前に聞く悲痛な一声、身体が動かない、どうすることも出来ない。妻とはこれが最後だ、この世の別れか声も出ない、無言が続く、安らかに。暗闇の決死の救出。

 家屋は全壊、あの一瞬魔の地獄と化し妻の最後の無言が続く死の世界である。身体が動かない。これが最後だ妻とともにこの世の想い出が消える。脳の中を駆け巡る。私は何の助けもできない。妻を助けることも出来ない私を助けてくださったのは、神仏か父か弘子か、手を合わせて南無阿弥陀仏と無言で唱える。念仏妻の声はもうない。何か声が聞こえる、やっと生きている気にもどる、早く妻を助けなければ、しかし身体が瓦礫の下で動けない、気が焦る。冷静にと頭の中に浮がぶ。両手を上にあげたが重たくて動かない、前に手を出して周囲を確認すると本か何かが手にあたる。お経本だ。目を開けることが出来ない、手探りである。解らない。何故前に動けないのだろう、後ろへ下がる、外に出たい一心で腰まで出たが痛い、瓦礫に腰がかかり出られない、早く出たいと思い暗闇の中で痛さに耐えて身体をもがきやっとぬけた。そこは空白で上に穴があいている。出られたが腰と手にけがをしている。
 
早く妻を助けたい一心で長い盲目のなかの闘いが続いた。永い時間、いやそれは短い時間であった。弘子が死んではいけない、助けることが私に与えられた大きな使命である。
 永く共に生きしが 短き命 想い深く消え去りし道か
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