地域のために震災復興事業の紹介記念誌「阪神・淡路大震災の記録」映画「ありがとう」映画「ありがとう」 記念誌「阪神・淡路大震災の記録−鎮魂と復興の願いを込めて−」
     
 
  1章 夫の遺品
横井 和子 
 
         
  1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が起こった。予想もしなかった大きな打撃をもたらした。地震の恐ろしさをこの時ほど思い知らされたことはない。一寸先は闇である。この震災で、私の夫と妹が犠牲者となった。

 私と妹は生まれ育った神戸をあとにして、縁あって二人とも香川県に住んでいた。1月16日は父の7回忌法要のため、私と夫は高松から、妹夫婦は近くに住む従兄達と坂出駅で合流し、マリンライナーから新幹線に乗り換えて神戸へ、みじかい時間であったが楽しい旅であった。夫も妹も明日の命がないことも知らず……悲しい死の旅出であった。ここまで書くだけで涙がこぼれる。

 あの時の一瞬の出来事は、私にはどうしても書くことができない。決して忘れてしまったのではない、思い出すと涙がこぼれるから。悲しいから、でも、悲しいのは私だけではないと思いつつ、あれから6年になるが、いまだに私の頭の中には、なぜ、どうして夫や妹までもと思わぬ日はない。

 震災からどれくらいたったであろうか。瓦礫の中から出てきた夫のスーツの上着が神戸の甥から高松に送り届けられた。汚れた上着のポケットに手を入れて一つ一つ取り出した。涙がどっとこぼれた。高松を出る朝、ポケットに入れた品物がそのまま入っていた。財布、白いハンカチ、車のキー、自宅の鍵、免許証、皮肉にも無事かえるのお守り、百円ライター、ペチャンコになったマイルドセブン、その中にタバコが四本銭っていた。この四とは偶然だったのか、それを一つ一つ並べて何時間泣いたであろうか。

 最初に取り出した財布は私が海外旅行で夫に買ってきたものだ、一度も使うことなく大切にしていたがその日の朝、突然言った言葉をはっきりとおぼえている。「今日からあの財布を出してつかうから」と言った。いま思えば不思議なことである。たった1日ではあったが、身につけてくれたことを嬉しく思っている。

 百円ライターもタバコもなに一つ、どうしても捨てることが出来なかった。それを一つの箱にまとめ、夫が大切にしていたハーモニカと一緒に、今でも仏壇の中に納めてある。これが私の宝物である。何時まで大切に保管出来るであろうか、命あるかぎり……

横井 等さんの遺品

 神戸の街も生まれ変わったように復興したが、その陰には6432人の犠牲者がいたことを決して忘れてはならない。震災から学んだ貴重な経験を風化させることなく、後世に残していかなければならないと思う。

 今、私は生まれ育った神戸の街に帰り、夫や妹を偲びつつ静かに暮らしている。
 

 
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